姉妹町・友好都市
姉妹町 沖縄県竹富町
竹富町は沖縄県石垣島の南西に点在する16の島々からなる人口4000人あまりのまちです。
竹富町には、琉球王朝時代の文化が今も色濃く残り、多くの伝統芸能が伝えられています。赤瓦の古い街並を残す竹富島は、国の「重要伝統的建造物群保護地区」に選定されています。
また西表島は、イリオモテヤマネコをはじめとした様々な絶滅危惧種や固有種が生息する生物多様性が評価され、令和3年に世界自然遺産に登録されました。
竹富町と斜里町の交流は昭和47年にまで遡ります。
昭和47年、沖縄の本土復帰が実現したとき、斜里町民の間から沖縄の復興に協力したいとの声が上がりました。
復帰と合わせて、竹富町の西表島が日本最南西端の国立公園に指定されたことにより、最東北端の知床国立公園と両端の位置関係になったことから、姉妹町盟約が実現しました。
人口規模も近く、西表と知床という世界的な自然を持つ両町には共通の課題も多く、姉妹町提携以来、町民や青少年交流、物産交流など、全町的な交流が絶えることなく続いています。
友好都市 青森県弘前市
津軽藩の城下町として発達してきた弘前市は、青森県内では青森市、八戸市に次ぐ人口をもちます。
りんごの生産量が日本一で、弘前城の桜とともに、「お城とさくらとりんごのまち」として知られています。斜里町との交流は200年前の悲劇的出来事が契機となっています。
文化4(1807)年、北方への警戒感を強めた幕府は津軽藩などに北海道の海岸警備を命じ、斜里に100余名の津軽藩士が派遣されたものの、冬の厳しさの中で多くの藩士が命を落としました。
その後、この津軽藩士殉難事件は歴史上忘れられていましたが、昭和43年、歴史の見直しを進めていた斜里町郷土研究会はこの史実を掘り起こし、慰霊碑の建立をすすめたのです。
斜里町郷土研究会の活動は、青森県内のマスコミに大きく取り上げられ、県民的な話題となりました。
そして、昭和57年、津軽藩士を慰める斜里町での第10回慰霊祭に弘前市長が出席したことから、翌年の友好都市提携につながりました。
調印の年、友好都市盟約を記念して弘前ねぷたが初めて斜里町に出陣。これが斜里町の「しれとこ斜里ねぷた」運行の起源となりました。
姉妹町友好都市交流記念館
青森県弘前市との友好都市盟約10周年および竹富町との姉妹町盟約20周年を記念し、平成5年11月23日に開館。
知床博物館と連結しており、弘前市と竹富町の自然や文化を紹介するとともに、「しれとこ斜里ねぷた」に運行される約20基のねぷたを保管しています。
更新日:2023年08月08日